タイ南部の華人廟つれづれ

華僑研究センター客員研究員 玉置 充子


 

スラッタニーの揚徳善堂

(揚徳善堂の林姑娘像)

 筆者は昨20042月、タイ最南部のパッタニー県で、地元の華人の信仰を集める「林姑娘」という女神について調査した。林姑娘は、16世紀に中国南部からパッタニーに亡命した海賊・林道乾の妹とされる。パッタニーには当時、マレー人スルタンが治めるイスラム王国があり、東西貿易の中継地として栄えた。林道乾は、一説には王女と結婚し、官職を得て安逸に暮らしていた。林姑娘は、兄を連れ戻しに海を越えてやって来たが、故郷を捨てイスラム教に改宗した兄に絶望し、自ら命を絶ったと伝えられる。この悲劇の伝説のヒロインは、いつの頃からか地元の華人に万能の女神として崇拝されるようになった。

林姑娘は戦後、発祥の地パッタニー以外に周辺地域の「善堂」の廟でも祀られるようになっている。善堂とは、中国南部に起源を持つ民間の慈善組織で、華人の移住とともに東南アジアに広がった。タイでは20世紀初頭に設立されたバンコクの華僑報徳善堂が有名だ。華僑報徳善堂を代表に、潮州(広東省東南部)系の善堂は故郷のローカル神「宋大峰祖師」を奉仕精神の象徴として中心に祀る。筆者は昨年の調査で、パッタニー県に隣接するヤラー県とハジャイ市(ソンクラー県)の善堂に宋大峰祖師とともに林姑娘が祀られているのを見たが、このとき、ソンクラー県より北にあるスラッタニー県の「揚徳善堂」とトラン県の「万徳善堂」にも林姑娘が祀られているとの情報を得た。これを確認するため、20053月末に両県を訪れた。

まず、バンコクから夜行寝台列車でスラッタニーへ向かう。スラッタニー駅到着は翌日の朝7時すぎ。わかっているのは「揚徳善堂」という漢字名だけだ。住所はもちろん、タイ語名もわからない。我ながら無謀であったが、幸運なことに、駅前で声をかけてきたタクシー会社の社長という男性がたまたま華語(いわゆる標準中国語)も漢字も解する華人だった。プーケット出身で同地の中華学校を卒業したという。善堂の場所も知っていて、すぐにタクシーで送ってもらえた。目指す揚徳善堂は市の中心部から少し離れた所にあった。隣には潮州会館がある。宋大峰祖師を中心に林姑娘、太上老君、観音、関帝、福徳伯公(土地神)などを祀る。1965年の創立で、理事会メンバーにはやはり潮州人が多いそうだ。本殿で目を引かれたのは、中央の台の上に置かれた扶乩(中国伝統の一種の交霊術)用のY字型の道具(乩筆)である。パッタニーやヤラー、ハジャイの廟にはなかったように思った。

偶然にも、その日は年に一度の祭の日だった。昨年見学したパッタニーやヤラーの祭りは元宵節(旧暦115日)前後だったが、ここでは旧暦215日に祭が行われている。残念ながら、「遊神(小さな神輿に神像を載せて町中を練り歩く行事)」は出発した後だった。夜に廟の前の広場で「過火路(火渡りの儀式)」があるからぜひ見て行けと言われたが、今回は時間がなく、見学を終えるとすぐにミニバスでトランに向かった。トラン県はインド洋に面し、タイのゴム産業発祥の地として知られている。スラッタニーからトランまでは、ナコンシータマラート県をまたいで南に約3時間半の距離だ。

 

 トランの異色華人廟  

トランには午後2時すぎに着いた。まず華人経営のホテルにチェックインしたが、今度は華語も漢字も通じない。とりあえず英語の地図を手に入れたところ、「Joss House(華人廟を指す)」という表記がいくつもある。どれが目指す「万徳善堂」なのかはわからないが、華人廟に行けば何か情報は得られるだろうと、とにかくそのうちの一つに行ってみることにした。この行き当たりばったりの考えが、思いがけない出会いをもたらした。

地図で適当に目星をつけた華人廟の近くまで来ると、なにやら賑やかな音楽が聞こえてきた。そのまま道を進むと目の前に華人廟が現れた。それほど大きくはないが、日曜日でもないのに大勢の人で賑わっている。どうやら祭りのようだ。

 本堂の入り口にはタイ文字とともに漢字で「巴比加尼宣」と書かれている。中に入ってみて、この名前の意味がわかった。内部は普通の華人廟と変わらない造りだが、祀られているのは華人廟で見慣れた仏教や道教の仏神ではなく、ヒンズー教の神ガネーシャなのだ。「加尼宣」というのはつまりガネーシャの漢字表記だった。ガネーシャは、シバ神と妃パールバティの息子で、頭は象、身体は人間という特異な姿で表される。ヒンズー文化の影響を受けているタイでは、寺廟にガネーシャ像があること自体は珍しくないかもしれない。ハジャイの同声善堂の境内にもガネーシャ像があった。しかしこの廟では、神像の前に「活きガネーシャ神」と思しき男性が鎮座し、信者の礼拝を受けていた。「活きガネーシャ」は色白の華人男性で、ピンク色の頭巾とズボンを身に付け、上半身には同じピンク色の帯をたすきにかけている。もしや怪しげな新興宗教の寺に迷い込んでしまったかと躊躇したが、せっかく来たからには参拝しておこうと受付で線香を買い求めた。すると、外国人が来たというので、英語の話せる若い華人女性を呼んでくれた。

その女性Jさんは、米国在住でたまたま休暇で帰省中だという。英語だけでなく華語もかなり話せる。Jさんの話では、廟の創立時期ははっきりしないが、彼女の祖父の時代からあったらしい。なるほど建物はかなり古めかしく、歴史を感じさせる。Jさんの実家は廟のすぐ近くで、家族全員で信仰しているそうだ。この日はまさに年に一度の祭りの日で、日本人はもちろん外国人が訪れたのは初めてだろうとのことだった。筆者は地図を見て偶然たどり着いたのだが、Jさんに言わせると、これも「ガネーシャの奇跡」なのだ。 

「活きガネーシャ」は、50歳というがもっと若く見える。ハジャイから祭りのために出張して来たらしい。ガネーシャ神がこの男性に憑依しているというから一種のタンキー(童乩・華人の霊媒)なのだろうが、神がかり的な様子はまったくない。派手なパフォーマンスをするでもなく、ただ信者の話を聞いて何やらアドバイスをした後、信者の頭に聖水をかけて祈るだけだ。それでも、彼の前には信者が引きも切らず列をなしていた。

昨年訪問したパッタニーやヤラーでもそうだったが、この廟にも大勢が一度に食事できる食堂が併設されていて、祭りの時には信者に無料で食事や飲み物がふるまわれる。筆者も誘われるままごちそうになった。料理は中華が中心だがタイカレーなどタイ料理もあった。

Jさんに、なぜ華人が華人廟でガネーシャを祀るのか聞いてみると、華人文化とタイ文化がミックスした結果だというような答えが帰ってきた。ただ、彼女自身も廟の起源や謂れは知らないようだった。ガネーシャが祀られていても、祭りに集う信者は華人ばかりで、廟の様子も参拝の仕方も他の華人廟と何ら変わるところはない。台湾や福建にもある願掛けの道具「ポエ」もある。また、本堂のほかに観音を祀る小さい堂があって、中にはやはり初老の華人女性が観音の扮装で座り、信者の礼拝を受けていた。

筆者は、東南アジアでほかにガネーシャを祀る華人廟が存在するのか、寡聞にして知らない。Jさんも、トラン以外に同様の廟があるのかどうかはわからないと言っていた。「活きガネーシャ」の男性はハジャイから来たというから、ハジャイにはあるいはガネーシャ廟があるのかもしれない。このガネーシャ廟本堂の正面の壁には、真ん中に太陽、左に光り輝く巻貝、右にフォーク型のマークが描かれていた。また屋根には、「三日月と星」と変形の渦巻き模様のようなモチーフがあった。巻貝とフォーク模様は、「活きガネーシャ」の衣装にも刺繍されていた。「三日月と星」からはイスラム教がイメージされるが、それ以外のマークの意味はわからない。Jさんの話を信じるなら、最近になってできた新興宗教ではないようだが、その実体は今のところ謎である。

 

 トランの万徳善堂と斗母宮  

(万徳善堂の林姑娘像)

 さて、当初の目的であった「万徳善堂」だが、Jさんから場所を教えてもらうことができた。町の中心部にあり、意外にも筆者の滞在するホテルに一番近い華人廟だった。英語ではfoundation(基金)、タイ語ではポー・テク・トンで通じるそうだ。これはバンコクの華僑報徳善堂のタイ語名で、もともとは「報徳堂」の潮州語読みだという。それがタイ各地の善堂の代名詞となっているということだろうか。万徳善堂はトランで最も規模の大きい華人廟のはずだが、どういうわけか地図には載っていなかった。

 翌日の朝、さっそく万徳善堂に行ってみた。万徳善堂は、タイ南部14県の華人社団の連合組織「泰南十四府聯合救済組織」の発起人のひとつでもある。1959年の設立で理事会メンバーは38人。驚いたことに、設立時の賛助人の中にインド人が1人いる。本殿の主神は宋大峰祖師で、左右に林姑娘と感天伯公を並祀し、そのほか、観音、福徳正神、田府元帥なども祀る。本殿奥の3階建ての部分は信者の寄附により1991年に増築されたもので、観音はその3階の一室に祀られている。本殿の宋大峰祖師像の前には、スラッタニーの揚徳善堂にもあった扶乩用の乩筆が置かれていた。

 午後は、地図にある華人廟をバイクタクシーで回ってみた。小さな町のわりに、トランには関帝廟、包公廟など大小10余りの華人廟がある。トランはタイのゴム産業発祥の地と言われるが、20世紀初めにマレーシアから密かにゴムの木を持ち込んだプラヤー・ラッサダーは、実は中国名・許心美という華人であった。福建省樟州出身の父・許泗漳は、タイ南部の錫鉱を開発して財をなし、タイ王室からプラヤーの官位を与えられ、南タイを代表する名家ラ・ノーン家を創設した。その六男である心美は、ラーマ5世に重用されてトラン知事やプーケット省長を歴任し、地元の経済開発に手腕をふるった。トラン市内には銅像があり、今も英雄として尊敬されているそうだ。

2000年のタイの人口センサス(http://www.nso.go.th/)によると、トラン県は人口約600万人でムスリムが14%弱(ちなみに、スラッタニー県は人口約870万人でムスリムは約2%)というから、同じ南部でも、ムスリム人口が7割以上を占めるパッタニー、ヤラー、ナラティワートの「深南部3県」とはかなり様子が異なる。華人人口は統計に表れないので不明であるが、20世紀初頭にゴム産業が生まれ、その後盛んになったことを考えると、トランにも労働者として中国南部から多くの移民が渡ってきたことは想像に難くない。華人廟の多さがそれを物語っている。

東南アジア華人の祭りに「ベジタリアン・フェスティバル」と呼ばれるものがある。中国語で「九皇斎節」と言い、神格化された北斗九星「九皇大帝」の誕生日を祝う祭りである。毎年旧暦9月1日から9日までの9日間開催され、信者は期間中、白装束に身を固め、肉食を絶って菜食する。タイでは、ーケットのものが最も有名で、トランス状態のタンキーが顔面や舌に刃物を突き刺す派手なパフォーマンスで知られる。同様のべジタリアン・フェスティバルは、ここトランの「斗母宮」(斗母は九皇の母とされる)でも開催されている。斗母宮は、おそらくトランで1、2を争う大きさの華人廟で、初代「宮主」の就任期間が1922年〜1933年というから、1920年代の創建であろう。

この斗母宮では意外な発見があった。本殿の右手にある別棟の天福宮(観音廟)に、観音、釈迦とともに林姑娘が祀られていたのだ。それまでの善堂で見たきれいに彩色された大型の神像と違って、この廟の観音や林姑娘は色あせた小さな木像で、かなり古いもののようだった。筆者は林姑娘信仰について、戦後になって宋大峰祖師を主神とする潮州系の善堂の設立とともにパッタニーから近隣諸都市に広がったものと考えていた。斗母宮での発見は、それとは違うルートの存在を示唆するもので、今後の調査の結果次第では、この考えは軌道修正を迫られるかもしれない。


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